10.30.2012

Ya ya ya 嬉しいや

将来必ずそんなことが起こるに違いないであろう・・・ 

グアテマラの国家的プロジェクト、天然染色記念日・検討委員会における審議項目の一つ、今日という日はその天然染色記念日の候補とするべき日と、どうやらなったように思えます。

サンティアゴ・アティトラン市 市役所、17時50分。

予定を50分ほど遅れて婦人グループ・コンソルシオの幹部60人(12とか15と言われる様々な婦人グループが協力し合って一つの大きな組織を運営しています)と、トーマス市長率いる市役所幹部6人が天然染色研修センター開設向けての前向きな協力会議が初めて行われて、その協調・協力関係が初めて公のものとなりました。じーん。

残念ながら、全てツトゥヒル語の会議故、詳細は解りかねます。でも、60人のおばちゃんたちの顔を見れば一目瞭然でした・・・そして、開口一番

「かば やったよ! もう心配いらないよ! 皆で晩ご飯食べよう!・・・」

それは、それは、満面の笑顔でした。

この国では頻繁に政治的旧体制と新体制の極端な軋轢が繰り返されています。

地方行政は更に覿面で、選挙によって体制が変わってしまった後 旧体制側は政治に関わる全ての資料を容赦なく消去してしまうのが常となっているのです。

具体的にいうと、パソコンデータなど全て消去します。

それゆえ恐らく、今回の出来事はグアテマラの中でも珍しいケースなんだと思います。

婦人グループ・コンソルシオは明らかに選挙に敗れた旧体制派。グアテマラ入国後にソレを知り、「テーマは一つ、互い協力し合おう」を合言葉に7ヶ月、足踏み状態が続いていました。

そして、今日。 内部環境がパーフェクトに整いました。
 

Ya Ya Ya
天然染色センター開設は直ぐそこです。
きっと新年からは 続々と 総天然色ニュースを伝える事ができるに違いない。

10.26.2012

ろうけつ始め

日本から染色道具と染色CAVAノートを送ってもらいました。

実は、日本からグアテマラに旅立つ時点では、天然染色センターが滞りなくオープンしているはずだったので、道具類をわざわざ持ってくるなんてことは思いもしなかったのです。

そして、送付荷物は航空便も船便も仲良く同時に二ヶ月半後に到着。

時間がかかってもちゃんと届くのであれば問題ないですね!そういうことに致しましょう。でも、今回の事では航空便で送る事がまったくもって無駄であることがよくわかりました。

そういうわけで 久しぶりのBATIK ろうけつ染です。
 

これは模様部分を蝋で防染し染色する技術で、日本では7-8世紀頃から、また、大陸ウイグル地区界隈では2-3世紀頃から行なわれていたと云われており、他にインドネシアやマレーシア。タイ・・・様々な国で同様技術を確認することはできますが、中米には無かったのかもしれません・・・きっと。

ちなみに、天然藍復興に貢献した天然染織研究家の児嶋英雄氏の働きかけにより、ろうけつ、絞りによる天然藍染め品が隣国エルサルバドルの新名産品として確固たる地位を築きつつあるようでして、なんとも素敵な事であると一人悦に浸っている最近なのです。

さて、
作業開始とはりきったのは良かったのですが、
繊維から、夾雑物の蝋分や脂肪分を取り除く為に精練をしようと思ったら、鍋に大きな穴が開いていました・・・

こういう事は日常茶飯事、気を取り直して、精練済みのシャツに蝋入れを施しました。
画像は 蝋入れ後のソレ

様々な事柄が 良い方向に動き始めました。
それぞれの立場が違っていても願いは一つ、来週、また一つ山場がやってきます。 

まったくもって少しずつですね。 Tengo que aguantarlo.  

10.22.2012

バス強盗とトランスメトロ

首都訪問時のこと、
四駆パトカーの荷台に拘束された20人ほどの坊主頭青少年ギャング団(マラスまたはパンディーヤと呼んでいます)がニコニコとしながら通り過ぎていくのを見かけました。

捕まるということは、組織内昇進に繋がっていくのでしょう・・・? 
若者たちは皆、誇らしげで、はしゃいでいるようでもあり、
悔い改めるなどとは程遠いような印象を受けました。

ちなみに、2009年に逮捕された顔じゅう刺青だらけの大ギャング組織のボスに対して、証拠不十分無実の判定が下りたことは、つい最近の記憶に新しい出来事です。

グアテマラのバス会社は、それぞれの地域を拠点として、米国中古バス5-10台程度所有としている小規模組織のものが目立ち、自己防衛力もたかがしれています。

そして、そんなバス会社はギャング団にとって絶好のターゲットとなり、みかじめ料の支払いを断ると、ピストル強盗が乗りこんできます。 
ひどい時は手榴弾投げつけになります・・・。

幸い遭遇したことはありませんが、小規模バス会社の被害は後を絶ちません。

さて、ギャング団の活動拠点は首都圏。
そんな首都圏に登場した公共バスが画像のこれ!日本のバス2台分位の長さで、路線は一般道路に工夫を凝らし、他の車両が入り込むことができないよう施してあります。



その名はトランスメトロ。

その運営母体は対象が大きくなる公共機関なので、ギャング団も強請る事は難しくなり、
ショットガンを持った警備隊が常駐し(これはこれで怖いのだが・・・)
警戒も中心区域から西へ向かう東西路線と南へ向かう南北路線があって、
安全で、どこからどこへでも、好きな区間Q1(約10円)、渋滞知らずで、安価で便利なことこの上ないのです。

身の安全を高い位置に引き上げてくれるトランスメトロにいつも感謝しています。

(画像があまり良くなかった・・・。)
 

10.17.2012

カミオネータ

梅雨明け間近です。 

内容がなんとなくジメジメしていて暗いと一部から指摘のあったマノス・ウニカスにも、やっと明るいニュースがやってきました。嬉しいですね!私事ではありますが、7カ月目にしてビザ延長の許可が下りたとの弁護士からの連絡を受けて、いそいそとカミオネータ(公共バス)で上京して、手続き完了となったのです。

そんな本日は、外国人からはチキンバスとも呼ばれる米国からのお下がり車、カミオネータ、バス道中のお話です。いざ・・・

標高1500mのサンティアゴ中心街から東へ向けて出発、アティトラン湖畔の高台道路を隣町目指してバスは走ります。広大なアティトラン湖の景色、赤い実がちらほら付き始めたコーヒー畑とアボガド、かって天然染色の赤を生みだすコチニールを繁殖させていたであろう、うちわサボテンを垣間見ながら、星の王子様、サン=テグジュベリの描いたイラストと同じ形のセロ・デ・オーロを通り過ぎ、サンルーカス・トリマンに到着です。

ここからは湖を離れて南方向へどんどん下り坂、鈴なりコーヒーの色合いも赤茶けたものが多くなってきていました。あっ 収穫が既に始まっている・・・ その後、コーヒー畑の面積よりも牧畜用の牧草と牛の放牧が山間部に目立つようになってきます。

高原牧場労働者のマッチ箱のような家がなんとも不思議。標高はどんどん下がり、いつの間にかコーヒー畑はなくなって、民族衣装を着る人も少なく、長袖でバスに乗ってしまったことを後悔し始め、太平洋まで直線で約50km付近を左折してバスは太平洋と平行に走ります。

カカオ、ゴムの木。パインを垣間見ながら東へ向かい、広大なサトウキビ畑と噴煙を上げる活火山の麓をバスはものすごいスピードで走っていきます。そして太平洋へ向かう分岐点エスキントラの街に入ると、ランニングシャツ姿のおにいさんおねえさんが隣国名物のププーサやココナッツジュースを両手に持ちながら良い声で売り込みます。

ここからは首都へ向けて上り坂を一気に北へ向かいます。途中、刺青だらけの若者が昔は悪だったけど自分の人生を変えたい、今はこんなお菓子を、少しずつ時間をかけながら稼いでいる、と売り込みに来ます。この手の口上になんとも弱いカバは、ついつい食べもしない甘いお菓子を買ってしまいます。

気が付くとそこは工場地帯、新興住宅、もうすぐグアテマラ市最大の市場となる終着点。
センマと呼ばれる場所で、トランスメトロというモダンで渋滞知らずの乗り物に乗り換えて、首都の中心地を目指すことになります。

こんなバスの旅
日本でいうなら春から夏にかけてわずか3時間半で旅をする様なチョーお得な気分となること間違いなし。

10.08.2012

マヤ人の家事が凄い

5時半に起床し朝食の支度、食器洗い、掃除、洗濯、物干し、その合間に染色準備をして、気が付くと既に午前が終わっていて昼食準備、その後あっという間に夕食準備がやってきた事を思い出しました・・・家事と天然染色に没頭した日本生活10カ月間の出来事です。

ボタンを押せば着火するガス、電子レンジ調理、圧力釜、自動洗濯機を多用しながらのお仕事ではありましたが、想像以上の労力、時間がかかる事を実感した日本の家事でした。

ところ変わってマヤ人の家事


加熱燃料は薪が主流です。= 薪拾いは日常です。
大概、調理場と水場と食堂が分かれています。
洗濯は手洗いが主流です。
殆ど冷蔵庫を見かけません。= 原材料保存を前提とした調理は少なく買物は日課です。
電子レンジ使用を嫌います。 

この様な環境で、家事をこなしていくには、それ相応の時間が必要となってきます。
勿論、各家庭での必要時間は家族人数に比例してくことでしょう。

さあ、そんな家事の日々を想像してみましょう! 
・・・さて、どうも、一日で完遂しそうな気がしない・・・。 

家事に関わることが少ない日本男子にとって、そんな事を想像するのは至難の業でしょうが、今となっては、日本女子、なでしこジャパンにとっても、もはやマヤ人の家事仕事量を想像する事は難しいような気がしてなりません。

一人分の手洗い洗濯にヒーヒー言っている自分を省みて、
家事の合間を見つけながら手織物などさっさと笑いながら仕上げてしまうマヤ人に、恐れ入るばかりの日々なのです。

そして、人々が日々暮らしていくという事について、よくよく考えさせる事例であります。
 

さて、
白黒画像は、洗濯、食器洗いなどに使われるピーラと呼ばれる水場、そして、薪を使い調理場でトルティーヤを焼くアナさんです。