6.26.2013

グアテマヤと権威

小さいながらも肩書きや権威のあった世界から一線を画したつもりでいましたが、立場が変わっても、何処までも付いて回るという現実を真摯に受け止める日々です。それでも、更に自覚が強まった分、権威主義を遠目で傍観する術は身につける事ができたかもしれません。


冒頭にわけのわからぬ事を書いておりますが、児嶋英雄氏による天然染色指導者育成のための研修を前に、改めて自己の未熟さと調整ごとの難しさを痛感し、グアテマラ・マヤ人、そして権威なるものについてよくよく考えさせられる今日この頃、そんな思いから辛辣な現状にスパイスを添えて、これまで書かなかった事柄について書き記してみようと思います。

★調整ごとはなかなか楽ではない

相手あっての事なので、調整に携わる者は相手を深く知る必要がありますが、調整を望む一方は「目的達成」この一点の興味に尽きるわけですから極めてシンプル。しかしながら相手の立場、人柄、環境、現実に抱える問題は実に複雑多岐に亘るため、両者間に大きなギャップが生じます。開設まで一年半以上かかるこの度の事例も様々なギャップが存在したと云えます。当然ながら調整事は見えないストレスを抱えながらスポットライトを浴びることはありません。(悲観的になっていませんのであしからず)

★相手となるグアテマラ・マヤ人が抱える気になる問題点について

「平和主義でノーと言うことができない」「経済的貧困層の教育学習レベルは低く、自国地図を読めない、掛算・割算ができない。足・引算が怪しい、読書機会が極端に無い」という人が多く、熟考しないまま瞬間湯沸かしの如き行動に走る事多々。つまり、理解力不足のまま全てイエスと言ってしまう傾向にあり、ノーと言えない弊害は割と多く、解らないそのままに物事突っ走って、好ましい進捗がないとすぐ飽きてしまう事が多々・・・といった事をあえて言及しておきます。

ちなみに長い期間この国に対して行なわれている、国家的支援団体(税金)による算数プロジェクトなるものも、結果が出るどころかレベルが下がっている状況で、端的に述べると、プロジェクトを仕掛けた側がグアテマラ人の資質とその環境を理解していない事に因るものと考えられ、グアテマラにおける調整ごとの難しさ、また、一部日本人の一方的な思い込みは通じない事を表す事例の一つとして挙げる事ができます。

★権威を前にしたマヤ人

内容よりも形式的なもの、儀式的な事を特に重んじ、権威者を前に美辞麗句を並べて贈りものを送ったりご馳走したりしていますが、権威者に良い気持ちで帰って戴き、身捨てないでもらいたい的な事にのみ主眼が置かれている傾向にあり、本来あったはずの本質的なものがないがしろになっている様に感じます。中世以降、虐げられてきた民族の片鱗を垣間見るような気持ちになるのは私だけでしょうか、特にこの場で言及したい事は、そんな儀式ごとなどの前ではイエスイエスと調子が良いのだが、終わったとたん別世界に舞い込んだかのように本質的なことの進捗が図れない傾向にあり、とても残念に感じてしまうのです。

★権威について思う

仮面の様なものに囚われることなく、より本質的なものを求めようと思っていましたが、ここ数年間の経験、また、権威を主軸として、その周囲にある全ての利用できるものを台風の如く巻き込みながら、二十数カ国旅行して、さして本人は興味がないとしても大衆受けしそうなネタを平たくピックアップレポートする驚きの若者に最近出会ったこともあり、考え方が少し円やかになりつつあります。つまり、そんなに片意地張らなくても良いのでは、と、思うようになってきていて、権威は大きなパワーとして極々普通に受け止めて、うまくお付き合いさせて頂ければ良いのかもしれません。そうありながら巷の一介の真摯な職人さんを尊敬する気持ちは益々強くなっていくことでしょう
 
徒然なるまま特に最近思った事を記してみました。異論反論ごもっとも、平にご容赦願います。ちなみに、全てをひっくるめて、少し生ぬるい感じのするグアテマラがとても好きです。
 
今回画像は内容に反して微笑ましいマノスウニカスのマスコット、
おっそーことOso Pérez Molinaさん。 
勿論、グアテマラ大統領 Otto Pérez Molinaさんとは異なります。

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